先日、友人がPCを購入するのにつきあって秋葉原にいってきました。
質の良い中古を探して歩いてかなりよいものを見つけることができました。
最終的にとある中古屋さんで購入したのですが
その店は他とは違う特徴があったのです。。
お店の店員さんは全員外国人!
電気街の中心部から少しだけ外れた場所にあるそのお店の店員は
全員外国人!
日本人店員はゼロ。ありとあらゆる外国人です。
商品知識もさることながらあまりの流暢な日本語に、いったいどこの人なのかも
さとることも聞くこともできないほど。。
どうやって日本語勉強した?学校行ったんですか?
思わず私がこう聞くと
「いやいやたいしたことないっすよ。なんとなく話してるだけです。」
と、ネイティブのような受け答え!
明らかに店員同士の第一言語が違うため、よくよく観察してみると
店員同士は英語を使っているようです。
ということは、かれらは少なくとも3つの言語を操っていることになります。
世界には結構いるものです、マルチリンガル。
ところがどうでしょう、日本人のマルチリンガルって本当に少数だという気がするのです。
どうしてなのでしょうね。
たくさんの日本人が英語に苦戦している中、何ヶ国語も話せる人はこんな身近にも
たくさんいるわけです。
どうも私には”控えめ”という日本の美徳が
外国語を話すことを妨げているようなそんな気がしてしまうことがよくあります。。
全員外国人!
日本人店員はゼロ。ありとあらゆる外国人です。
商品知識もさることながらあまりの流暢な日本語に、いったいどこの人なのかも
さとることも聞くこともできないほど。。
どうやって日本語勉強した?学校行ったんですか?
思わず私がこう聞くと
「いやいやたいしたことないっすよ。なんとなく話してるだけです。」
と、ネイティブのような受け答え!
明らかに店員同士の第一言語が違うため、よくよく観察してみると
店員同士は英語を使っているようです。
ということは、かれらは少なくとも3つの言語を操っていることになります。
世界には結構いるものです、マルチリンガル。
ところがどうでしょう、日本人のマルチリンガルって本当に少数だという気がするのです。
どうしてなのでしょうね。
たくさんの日本人が英語に苦戦している中、何ヶ国語も話せる人はこんな身近にも
たくさんいるわけです。
どうも私には”控えめ”という日本の美徳が
外国語を話すことを妨げているようなそんな気がしてしまうことがよくあります。。
理屈はときに脇に置いておきましょう。
理系の人に特に多いのですが、英語の「イレギュラー」に納得がいかず、
そこで止まってしまう考え込んでしまい先に進めない
そんな方がわりと多くいらっしゃいます。
理系でなくても熱心に文法を理解しようとすればするほど英語の規則性のなかにある
多くの ”例外” に納得がいかなくなってしまうことがよくあるようです。
英文法には多くの例外があります。
規則性がしっかりあるにも関わらず、そのなかにたくさんの例外があるのです。
言語学的にいっても英語は特に例外の多い言葉だそうです。
(ちなみに日本語はルールが複雑なかわりに例外は少ないそうです。)
レッスンのなかでもたまに、この疑問がふくらみすぎてしまった生徒様から
ほぼ言語学のエリアのような質問を受けたりします。
そんなとき私がよくアドバイスするのは・・・
ここでは理屈は横に置いておきましょう。そうなんだ、と受け入れてしまってください。
というようなコメントをします。
恐らくこれらの例外に関する疑問は研究している方が学問として説明をつけることができるとは思いますが
レッスンでの目的はもっと実践的なものなわけです。
使えるかどうか、理解できるかどうか
コミュニケーションを礎として勉強しているわけですので
まるまる「ふ~ん」と納得して受け入れてしまうほうが得策なのです。
これができる人は伸びます。
例外には理屈をつけることなく、受け入れて覚える。
その上で応用していくことができるので効率よく上達していきます。
疑問に思うことはとてもよいことですし規則性を見出そうとすることで
大人の語学は上達していきます。
・・・ただ、英語の「イレギュラー」に関しては、ときに理屈を脇において、
ただ納得してしまうほうが絶対お得です。
疑問に思っても、あまり追求しすぎない、それが大切かもしれません。
そこで止まってしまう考え込んでしまい先に進めない
そんな方がわりと多くいらっしゃいます。
理系でなくても熱心に文法を理解しようとすればするほど英語の規則性のなかにある
多くの ”例外” に納得がいかなくなってしまうことがよくあるようです。
英文法には多くの例外があります。
規則性がしっかりあるにも関わらず、そのなかにたくさんの例外があるのです。
言語学的にいっても英語は特に例外の多い言葉だそうです。
(ちなみに日本語はルールが複雑なかわりに例外は少ないそうです。)
レッスンのなかでもたまに、この疑問がふくらみすぎてしまった生徒様から
ほぼ言語学のエリアのような質問を受けたりします。
そんなとき私がよくアドバイスするのは・・・
ここでは理屈は横に置いておきましょう。そうなんだ、と受け入れてしまってください。
というようなコメントをします。
恐らくこれらの例外に関する疑問は研究している方が学問として説明をつけることができるとは思いますが
レッスンでの目的はもっと実践的なものなわけです。
使えるかどうか、理解できるかどうか
コミュニケーションを礎として勉強しているわけですので
まるまる「ふ~ん」と納得して受け入れてしまうほうが得策なのです。
これができる人は伸びます。
例外には理屈をつけることなく、受け入れて覚える。
その上で応用していくことができるので効率よく上達していきます。
疑問に思うことはとてもよいことですし規則性を見出そうとすることで
大人の語学は上達していきます。
・・・ただ、英語の「イレギュラー」に関しては、ときに理屈を脇において、
ただ納得してしまうほうが絶対お得です。
疑問に思っても、あまり追求しすぎない、それが大切かもしれません。
”客観視”の効果
『自分を客観的にみる』
・・・という言葉はなんだか批判的な雰囲気があるかもしれませんが、
ポジティブな、前向きな内容をさすこともあります。
もちろん前向きな”客観視”の話をします。
第二言語を学習する上で、とっても重要な私の考える”客観視”についてです。
日本語を学んでいる外国人と接したことはありますか?
最近は、「どうやって勉強したの??!!」とびっくりするほど流暢な日本語を話す
諸外国の方々がテレビによく映っていますよね。
彼らもきっと紆余曲折しながら語学力を手にしたにちがいありません。
私がおおおむかし、NYのコロンビア大学のアメリカンランゲージプログラムで
英語の特訓を受けていた頃のことです。
コロンビア大学は日本語や日本文学の専攻が優秀で有名だそうで、
日本語のネイティブスピーカーと話をするサークルが週1~2回さかんに開催されていました。
私はそこに”ネイティブ”として招かれて通っていました。
当時の私の英語は、、、そうですね・・・、そんなに流暢なものではありませんでした。
(現在の講師の立場としては言いにくいし見せられない!)
でもこのサークルの場にいるときは先生気分!
彼らの日本語レベルは様々でしたが、自分の当時の英語のレベルと同じくらいの
日本語レベルの方と話すのが大きなモチベーションになりました。
どういうことかというと・・・
彼らはとってもまじめに真剣に日本語学習に取り組んでいたため
少し私が速く話したりすると聞き取りができなくなり
あからさまにへこんだ様子をみせたりしました。
『ああぁ・・・そんなに落ち込まなくていいのに!
ちょっと早口になっちゃっただけで充分日本語理解できてるってば!』
私はそんな風にこころのなかで感じたものでした。
なかには知らない単語や言い回しを必ずメモしている人もいました。
発音や使い方についても質問されたり。
そんな人をみると
『この人の熱意なら、数年でかなりしっかりした日本語が話せるようになりそうだな。。』
などと思っていました。
毎回、日本語学習者を見て感じたことを自分が英語の勉強でくじけそうになったとき
あてはめて考えてみたのです。
自分を”客観的”に、「英語学習者」ではなく、「第二言語学習者」として冷静に評価します。
いちいち落ち込むことはない。
コツコツやればいい。
聞き取れなかったら聞きなおせばいい。
わからなかったらそこで知ればいい。
考えてみれば、私たちはみんな言葉が話せます。
子供の頃、母国語を一生懸命覚えたのです。
ただ、それをどんな風に頑張ったのか、すっかり忘れてしまっているだけ。。
日本語を学んでいる人の姿から、英語を学ぶ私たち日本人を客観視すると
それはそれは大きなモチベーションになるものなのです。
・・・という言葉はなんだか批判的な雰囲気があるかもしれませんが、
ポジティブな、前向きな内容をさすこともあります。
もちろん前向きな”客観視”の話をします。
第二言語を学習する上で、とっても重要な私の考える”客観視”についてです。
日本語を学んでいる外国人と接したことはありますか?
最近は、「どうやって勉強したの??!!」とびっくりするほど流暢な日本語を話す
諸外国の方々がテレビによく映っていますよね。
彼らもきっと紆余曲折しながら語学力を手にしたにちがいありません。
私がおおおむかし、NYのコロンビア大学のアメリカンランゲージプログラムで
英語の特訓を受けていた頃のことです。
コロンビア大学は日本語や日本文学の専攻が優秀で有名だそうで、
日本語のネイティブスピーカーと話をするサークルが週1~2回さかんに開催されていました。
私はそこに”ネイティブ”として招かれて通っていました。
当時の私の英語は、、、そうですね・・・、そんなに流暢なものではありませんでした。
(現在の講師の立場としては言いにくいし見せられない!)
でもこのサークルの場にいるときは先生気分!
彼らの日本語レベルは様々でしたが、自分の当時の英語のレベルと同じくらいの
日本語レベルの方と話すのが大きなモチベーションになりました。
どういうことかというと・・・
彼らはとってもまじめに真剣に日本語学習に取り組んでいたため
少し私が速く話したりすると聞き取りができなくなり
あからさまにへこんだ様子をみせたりしました。
『ああぁ・・・そんなに落ち込まなくていいのに!
ちょっと早口になっちゃっただけで充分日本語理解できてるってば!』
私はそんな風にこころのなかで感じたものでした。
なかには知らない単語や言い回しを必ずメモしている人もいました。
発音や使い方についても質問されたり。
そんな人をみると
『この人の熱意なら、数年でかなりしっかりした日本語が話せるようになりそうだな。。』
などと思っていました。
毎回、日本語学習者を見て感じたことを自分が英語の勉強でくじけそうになったとき
あてはめて考えてみたのです。
自分を”客観的”に、「英語学習者」ではなく、「第二言語学習者」として冷静に評価します。
いちいち落ち込むことはない。
コツコツやればいい。
聞き取れなかったら聞きなおせばいい。
わからなかったらそこで知ればいい。
考えてみれば、私たちはみんな言葉が話せます。
子供の頃、母国語を一生懸命覚えたのです。
ただ、それをどんな風に頑張ったのか、すっかり忘れてしまっているだけ。。
日本語を学んでいる人の姿から、英語を学ぶ私たち日本人を客観視すると
それはそれは大きなモチベーションになるものなのです。