CALN Online代表の矢野です!
今回はこの旅の本番、弊社講師のホセインの結婚式についてです!
今回ホセインの結婚式はかなりバングラディシュの伝統的な形に沿ったものになっていたようです。
というのも、お嫁さんは一人娘(一人っ子の女の子ひとり!)ホセインは3人兄弟の長男(男子3人の一番上!)なのでどちらの両親も結婚式は盛大に、伝統に沿ったもので、と言う希望がかなり強かったようです。

簡素化された結婚式も現在では主流だそうですが、伝統に沿うと3日〜4日のお祭り騒ぎとなります。
1日目は花嫁・花婿が別々に、それぞれの村でお祝いと儀式をし、
2日目は花婿と花婿の村人たちが花嫁の村まで出向き、花嫁の家族が出す料理をいただきながら花嫁の村人たちと交流します。
その夜は花嫁を連れて、花婿と花婿の村人は自分たちの村へ帰って行きますが、
3日目はその逆で、花嫁の村人たちが花婿の村にやってきて、花婿側が今度は料理を振る舞います。
こうしてどちらの村の人々も彼らの結婚によって交流を深め、新しい家族としてお互い仲良くなり絆を深めるわけですが、この振る舞われる料理がまた面白くて、必ずどちらの家庭も同じものを提供します。
ちなみに花嫁側はひとつだけ違うものを提供していました・・・
おそらく何か意味がありそうですが、子羊の姿焼き・・・
衝撃でした・・・

同じものを提供することで「どちらの方がおいしかった」といったような話題を長い間、村人たちに提供し、健全な形での競争心を満たすネタになるんだそうです。
この『健全に競争心を満たす』という文化はバングラデシュのいろんなところで見受けられ、すごく良い習慣だなと言うふうに私は思いました。
恨みつらみを腹の中に抱えたりするのではなく、正当な形でそれを表にできる機会が設けられているのはすごく心を豊かにするような気がしました。
さて、花婿側のイベント、1日目のターメリックタッチと言う儀式の話に戻ります。
昼間の部と夜の部に分かれていました。
どちらも村中の女性陣が集まって、花婿に黄色いスパイスターメリックを塗ったくります。
昼間は大騒ぎ、夜は厳かに。
昼はスパイスを塗ったくりあったり、水を掛け合ったり、みんなはしゃいですごく楽しそう。
でもこの激しい行動が私のほうに向かないように、ホセインは結構必死でした。笑

夜のイベントは、今度は少し静かめ。
女性陣は全員がサリーで正装し、設置された舞台のようなものに座る花婿の横に一人一人座り、用意された食べ物を一口ずつ口に運びます。
花婿が食べた後は今度は花婿が女性の口へ食べ物を一口運びます。


婚姻による責任感、男女の信頼感などを象徴する儀式だそうで、重要人物から順番に花婿ホセインの隣に座り儀式を行いました。
お母さん、叔母さんの次に呼ばれてしまった私。
村にゲストが来ることはほとんどありません。
ましてや外国人を直接見るのは村人ほぼ全員にとって初めてのこと。
まるでハリウッドスターが来たかのように誰でもない私と一緒に写真を撮りたがって村人が大人から子供から列をなしました。

日本とバングラディッシュの時差は3時間。
バングラディッシュの夜10時は日本の真夜中1時です。
この日は私は早めに就寝しましたが、花婿の家には村人たちがずっと大騒ぎしていて、おそらく3時4時までざわざわしていたように感じました。
翌日。
いよいよ結婚式の大イベントの日です。
花婿ホセインの村の人たちは正装し、マイクロバスに乗って花嫁ザラちゃんの村へ移動します。
花婿は別の乗用車に乗って向かいました。
大型バス二台と小型バンが数台+この乗用車で朝早くに出発です。
花嫁の村までは最低でも2〜3時間はかかると言うふうに聞いていました。
私はホセインの弟とベストマン(花婿の親友)的な子達と花婿乗用車の方に乗ることになりました。
バングラの結婚式では花婿はディレクター、総括責任者です。
これからの人生の舵取りの予行練習をさせるかのように、すべてのアレンジを責任を持って実施しなければなりません。
運転手たちにあれこれ指示し、ホセインも車に乗り込み、やっと出発となったのも束の間、バングラデシュの交通状態は非常に悪く渋滞に次ぐ渋滞。
不思議と事故は見かけませんでしたが、誰も静かに渋滞の中でブレーキを踏んで待ってはいないので鳴り止まないクラクション、止まらない車線変更、人々の叫び声、話し声、交通渋滞も非常に世話しない状態です。

私はちょうど作業しなければいけない仕事があったのでビュンビュン進まない車に乗って、酔わずに作業ができてちょうど良かったと言えばよかったですが、2時間経ち、3時間経ち、まだ着かないと、いよいよトイレにも行きたくなってきました。
ガソリンを入れにガソリンスタンドに寄った際にトイレに寄れないか聞いてみてもらいました。
ホセインがガススタンドのトイレをチェックに行きましたが、汚いからこれは使わないほうが良いと言って、ガススタンドの店員に何やら話をし、奥の部屋のだいぶマシなトイレの方を使わせてもらうことができました。
オーナーが使うトイレなんだそうです。

こういうのも全てが応相談なんだそうで、頼まれるとバングラディッシュの文化として、基本的に誰もノーとは言わないんだそうです。
3時間以上が経過したところで、やっと市場が連なる街というか村というか別の集落に到着しました。
ところがここはまだ花嫁の村ではないとのことで、ホセインは後続のバスがちゃんと来るのかどうかをドライバーたちと連絡取りながらいろいろ頑張っていました。
その間ホセイン弟君が周辺の探索に連れて行ってくれたので、町並みを見たり、さらに露店でスナックを買ったり、闇雲に待たされたわけでは無いですが、1時間、2時間近くの時間が経過したと言うふうに感じていました。
非常に近くまで来てるので後続のバスが来るまでの時間つぶしだと言っていましたが、大丈夫なのかな、どうするのかな、と頭を掠めつつ。
そんな間、ホセインはのんきに床屋へ行き髪を整えフェイシャルを受けていました。
まぁきっと近くでやった方が崩れないから最初から計画だったのかもしれませんが・・・。
弟君が1、2時間遅れはバングラディッシュでは当たり前だからと言っていたので、まぁそんなもんなのかなぁと思っていましたが、それ以上に遅れているような感覚が私にもありましたし、自分が花嫁だったら、あまり遅れてくるようだと、将来が不安になるなぁとぼんやり考えていました。
さて、そんなふうに時間をつぶしている間、花婿常用車はなんとお花屋さんに置いてきていたのです。
というのも花婿の車はお花で飾る必要があるんだそうで、花屋がリボンやらお花やらいろいろな飾り付けをしてくれていました。
カタログみたいなものがあって、それでデザインを選び、お花屋さんが飾り付けをしてくれます。

この後、2時間強の遅れが既に生じている状態で再出発をした花婿御一行。
山道をぐるぐるとスマホでGPSを見ながら走って行っています。
すぐ近くと言っていたのになかなか到着しません。
言葉がわからないのではっきりこの時点では私も確認できませんでしたがどうやら道に迷っているようです。
私は本当に頻繁にホセインに、
「とにかく事前に計画をしなさい、それ通りになるかならないかではなく先に考えておくことが本当に重要。それ通りにならないと言うことも最終的に計画に入れておくべき。」
と教授していますが、こんな大切な日に道順くらいちゃんと前もってチェックしておかなかったんだろうかと内心思いましたが、ここは私の出る幕ではないので、当然黙っていました。
ターメリックタッチの日、村のフェアなどでの様子を見ていると、こんな集落から海外に出て行き、数ヶ国語を操り、結婚式には外国人まで連れてくる、長男で頼りにされている、力仕事や配管なども担っている、この子はこの世界では村のかっこいい男子なんではないかとバイクにまたがるホセインを見て、ちらっと頭をかすめていましたが、この道に迷った一見で、やっぱりホセインはホセインだったと再確認しました。

とはいえ、バングラの中ではホセインはかなりマシな方ではあると思いますが、ちょっと楽観主義が過ぎる時があるんです。
でも弟君の意見を聞いていると、ホセインよりもう少ししっかりしている雰囲気があったので、やっぱりこれは個々のキャラなんでしょうね。
結局花婿の登場はなんと4時間遅れとなりました。
花嫁の村の人々は何百人も来ては帰り花婿不在の状態で懸念し、花嫁はその間食事も取れることができず、プンプンおこおこ状態です。
車の中で電話で喧嘩もしていました。そりゃそうでしょう。
花で飾られた車、そこまで遅れてきた花婿が後部座席に座っている状態で、私はその車の助手席に座り・・・登場です。
何百人もの人が車めがけて走り寄りカメラを向けてきました。
ゲスト用の食事はすっかり終わっていました。

ステージのようなものが作られていて、そこで花嫁を待ちます。
私も促されなぜかそのステージに一緒に座って花嫁を待ちました。
完全にVIP扱いだったんですね。
不機嫌顔が隠せない花嫁登場。
私はその後、間も無くステージ降りましたが、いくつかの儀式をステージ上で行っていました。婚姻届のようなものにサインしたり、鏡のようなものを一緒に見たり、2〜3個儀式をしていたように見受けられました。
その後花嫁と花婿の親族の食事が始まりました。

食事に向かう前にホセイン父がホセインを呼び出しました。
花婿側の男子その他主要人物が5~6人が集まって何やら話し合いをしています。この状況は当然お説教されているんだろうなと私は思いましたが、後から戻ってきた弟の解説によると、みんながそれぞれ違う意見を持っているので、その意見を出し合い話し合いをしているだけ。
あくまでデスカッションであって、叱られる注意を受けると言う概念ではないんだそうです。
バングラディッシュの文化全体が上から下への指令 (Chain of command) が絶対的に強いにもかかわらず、人を責めない作りになっていると言う感じがしました。
さて、食事がどれだけ美味しいかというのも彼らにとって非常に重要なこと。
運ばれてきた子羊の姿焼きに驚愕するのも束の間、1品食べるごとに感想を質問されます。
ちなみに姿焼きはケーキ入刀のように新郎新婦が2人で首をもいで取り分けていました・・・
パクチーのスープ(と言っても飲み物のようにグラスに入れて飲みます。かなり色々な材料が入っているようで、消化を助けるものだそうです。)
魚のフライ
チキンの手羽
ビーフカレー
ヨーグルト

主要なメニューは花婿の家と花嫁の家と全く同じメニューを提供します。
それにより後々どちらの食事の方がおいしかったかと言う話題として提供され、健全な競争心を満たす要素になるそうです。
良い悪いと言う評価ではなく、正直にどちらの方が好きだったかと言うことをひとりひとりが表現することでぼんやりした勝ち負けが決まるんだそうです。
この日、自分自身の結婚式に4時間遅れて登場する奴が毎日ちゃんと開始の数分前に打刻してくると言うミラクルが CALNでは毎日起こっているんだと言う事に気づかされました。
・・・そういう人をそこまでトレーニングした自分すごいなと我ながら感心。笑
もちろん、大前提として、彼自身に学ぶ意欲があったからこそのことではありますが。
一応一丁前にストレスで頭を抱えるホセインに私は言いました。
“I know the stress; you’re making sure everything goes smoothly and everyone is happy… You know, I do this every single day! That’s called responsibility! I’m glad now you know!!”
「そのストレスわかるよ、ことがスムーズに運んでみんなそれで満足できるように・・・って私それ毎日やってるから!それ『責任』って言うんだよ!やっとちゃんとわかる経験してもらえて嬉しいよ!!」
ホセインの村へ花嫁ザラちゃんを連れて戻ったその夜はホセインが村外れの『リゾート』に部屋を取ってくれたとのことで(花嫁も連れてきて家に泊まるので上司は遠くへやりたかった、のかもしれません。笑)山奥です。
牛やら山羊やらのいる畑道を縫って縫って登っていったところにあるゲートを開けるとまるで使われていないコテージのような雰囲気の小さな宿泊施設がありました。
ホセインがアレンジした村人が数人隣に用心棒的に泊まってくれ、朝もすぐ弟君が迎えに来てくれたので、気持ち的に不安はありませんでしたが、電気水は通っているものの、ここでもお湯はシャワーから出ません。
部屋のなかも『廃屋』に限りなく近い状態。
管理を任されている若い男の子が大鍋に入ったお湯を持ってきてくれるのでそれをポリバケツに入れ、水と混ぜたぬるま湯にして行水します。
熱湯のシャワーやバスタブはバングラデッシュで一度もお目にかかることができませんでした。
ところがこの池の水をこして火で沸かしたお湯。
当然カルキなどが入っていないからなのか見栄えは濁っているのに悪いものの入っていない水だったようで、大した手入れもしていないのに全身つるつるになりました。
土のミネラルなども残っていたのかもしれません。

部屋のつくりは雑なので、窓枠の横が2センチくらい空いていて、夜中の冷たい風が吹き込んできます。
お天気アプリは19度などと出ていても、体感は寒い!バングラデッシュの冬、昼は春先のようなさわやかさでしたが夜は凍えるほど寒かったです。
さて翌朝。
ホセインの家に一度戻った後、ローカルなレストラン・・・と呼んでよいのか、掘立て小屋の奥で地元民にまじって弟君とブランチして、ヒンディーのフェアへ行きました。
バングラデッシュはほとんどの人がイスラム教ですが、一部ヒンズー教の人が居て、そのフェスがあったのです。
弟君のお友達ともしばらく合流し、探索した後、結婚の儀式が引き続き行われるホセインの家に戻りました。
ちなみに、欧米人とやり取りして英語の実践力をつけたホセインに対し、ホセイン弟シアム君はマレーシア人と関わることで実践力をつけたのでしょう。
アクセントはさておき、イントネーションや語彙使い、表現はマレーシアの英語でした。
どう英語を習得したのか話し方に出ると言うの、すごく面白い点ですね。
パスポートに載らない英語の『国籍』。

買い食いしながらお散歩がてら、たまにリキシャに乗って、のんびり結婚式に戻ると、一通りの儀式が終わっており、花嫁の家族と村人でざわざわしている中、花婿VIPルームで食事をいただきました。
前記したように、これは前日に花嫁の家でいただいたのと同じメニューです。
そしてまた一品ごとに質問されるのです。
おいしかったかどうか、そしてどちらの方が口にあったか。
私は正直、ホセインの村のご飯の方が全般おいしかったと感じました。
もしかしたら最初に来たときに食べたのがこちらだったからかもしれないし、作った女性陣と交流をしたからなど、二次的な理由が作用したかもしれませんが、お世辞抜きでこっちの方がおいしかった『おしゃだろん』(ベンガリ語)といろんな人に言って笑顔になってもらうことができました。
本来ならばその夜は今度はホセインが花嫁ザラちゃんの村に戻っていくことになるはずでしたが、前日のいざこざで、その行事は翌日に引き延ばすことになったようです。
移動がもう何時間にも及ぶわけなので全員くたくたでした。
翌日帰国する私にとってはある意味、嬉しい変更でした。
ここでできた時間でいろいろ話を聞くことができたのでした。
花嫁ザラちゃんは一人娘であること(他に兄弟なし)、首都ダッカの学校に通っていて、村から通学できないため両親とともに市内に住んでいたそうです。
おそらく卒業したのだと思いますが、この結婚で、最低数ヶ月は花婿の村で暮らすことが伝統なんだそうです。
しかし、大学生になったからと女子を一人暮らしはさせないんですね。
なんと両親揃って通学させるために一緒に引っ越したんだそうです。
ほとんどの女性は仕事を持っておらず、ホセインの義理の父となるザラちゃんのお父さんは衣類の取引をしているそうで、私にも大量に洋服をくれました。
そんな大切な一人娘を嫁にいただいてしまってホセイン本当に大丈夫なのか。
私は内心ハラハラしてきました。
郊外の離婚率は1%にも満たないと言うバングラディッシュ。
まさか村初の離婚なんて言うことになりはしないだろうかと一瞬かすめてしまいましたが、そこまでひどいことには絶対にならないと即払拭しました。
花嫁の家に4時間の大遅刻をした日、花嫁が花婿の村へ発つ前、日本で言うところの『花嫁の手紙』のような時間が設けられていました。
手紙を読み上げるスタイルではありませんでしたが、花嫁が家族一人ひとりに感謝と愛を伝え、みんなが抱き合って泣いていました。
ゲストはそれを写真を撮ったり眺めたりしていました。
そこまで手塩にかけて育てた娘。
あの家族の号泣も後になってより納得してしまいました。

さて、もう1点、結婚式の正装についてですが、基本的に女性はみんなサリーを着ていました。
伝統衣装です。日本で言うなら着物。
インドでも着られていてバングラディッシュとの差はちょっとよくわかりませんでしたが、すごくきれいな一枚布(寒いので、みんな下には普通の服を着ていました。)を決まった形にドレープを作りながら体に巻きつけて着付けます。
ターメリックタッチのときにはサリーを着させてもらったので、ホセインのおばさんが着付けとメイクをやってくれました。

自然のなかに咲いている生のお花を髪に飾るのも、どうやら正装の1部のようで、ヒジャブをかぶっている場合も、被っていない場合も、お花を頭につけている人がほとんどでした。
また手にいわゆるヘナで『マンディー』と言う、一見タトゥーのようなデザインを書くのが男女ともに結婚式の正装の一部だそうで、私もこれをやってもらいました。
一週間くらい残る感じで非常に楽しみました!
デザインは描き手の結婚に対するイメージを表すもので、フリーハンドで自由に描いていきます。
とても芸術的です。

私は右手は、『既婚女性が考える結婚をイメージしたデザイン』(既婚の女性が描いてくれました)、左手は『未婚女性が結婚をイメージしたデザイン』(10代の女の子が描いてくれました)で、すごく綺麗で、仕事するたびに手が目に入るので本当に満足でした。
消えて欲しくないとずっと思ってました。


チョコペンのような形のヘナの入ったチューブで描き、10分〜15分乾かした後、レモンを絞って肌に着色させます。
絵の具のような色をつけるペーストは乾かした後にとってしまいますが、肌に色は残ります。
肌のトーンによって着色の色も少し変わるようで、みんなの手では赤っぽい色で残っていたのに私の手は濃いオレンジと言う感じになっていました。
それもみんな非常に興味深そうにしていて、私の手を見にまたさらなる行列ができました。

伝統に従うことにした結婚式ですが、結局ちょっとしたアレンジをしなければならなくなったホセインザラの結婚式。
花婿が花嫁の村に戻るのが私の帰国の日となったため、私は花嫁ザラちゃんとちゃんと会話するチャンスができました。
“Don’t get me wrong, Hussain is a very deligent and smart person but don’t leave any important decisions on him, on him alone!!!”
「ホセインはすごく誠実で真面目で頭の良い子だけど、すごく抜けたところあってあるから大事な決断は絶対に彼任せにしないで!最終決定は必ずあなたがしなさいね!」
と告げて村を離れました。笑
私としてはホセインに花嫁を置いて空港まで来て欲しくなかったんですが、どうしても送迎を人任せにしたくないとのことで、ホセインと弟とで私をダッカの国際空港までその日送って行ってくれました。
すごくスムーズに進んだような表現をしましたが、それも結構一悶着があったのです。
リゾートから直接車が来て空港に行くかと思いきや、結局いちどホセインの家まで連れていかれてしまい時間を食い、私はスムーズにいかない交通渋滞を数日見ていたため「早く空港に行かないと!」と言う気持ちで気が気ではありませんでした。
ところがいつものように悠長なホセインは「もう今車来るからパニくるなよ」みたいな態度でした。
・・・しっかり者の弟君が「普通の車だと渋滞に巻き込まれた場合、下手すると3時間くらい空港までかかってしまうがローカルのリキシャを使えば抜け道なども通って行けるので渋滞していたとしても、1時間半くらいで着くことができるから、それで行ったほうがいい」と再アレンジをしてくれました。
本能的にこの案を聞いたときにそっちだったら大丈夫だと言う気持ちになり、少し安心して残りの時間を村人達と過ごすことができました。笑
ホセインは以前マレーシアでも調査不足で私のフライトを乗り遅らせ寸前だったことがありました。
ホセインが『任しとけ!絶対大丈夫だ!』って言った時は要注意です。
おそらく私に言われなくても、間違いなく”カカア天下” になりそうな雰囲気の新婚夫婦でしたが、これを花嫁に告げられて、私はちょっと肩の荷が降りたような気持ちになりました。
次回は『バングラデシュは貧しい国ではない』です!
お楽しみに!
弊社では英語はもちろん、インドネシア語やベンガル語のレッスンも提供しております!
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