CALN Online代表の矢野です!
東京の生活では、貧しい人への慈悲を感じると言うよりは、自分が飲み食いのできない状態にあることで、冷静な目で日々の生活が便利さゆえに全て『過剰』(redundant)な状態であると言う感覚に襲われました。
何か飲みたい食べたいと思った時にすぐ手に入る。これは便利なことで当たり前のことと感じていましたが、逆に生きる喜びを奪っている部分が大いにあると今は感じます。

それから、頻繁に時計を見ながら生活しているにもかかわらず、太陽の動きに関しては、自分も含めてですが、ほとんど誰も気にしていないと思います。
ラマダン期間は太陽の動きに沿って行動するので、ほぼ毎日、日の出日の入りも目で確認しています。
さらに1日の中で、日が最も高くなるところに必須のお祈りが設定されているので、これも意識せざるにはいられません。
一般的な1日の開始は太陽の動きを基礎とした場合、おそらく遅すぎな気がしてきています。
朝9時がそれまでの普通の生活の午後1時位の感じでラマダン中は行動していて、実はこれが生き物として正しい動きなのではないかと言う気すらしました。

とにかく口にするもの、全てが美味しく感じると言うのも、過剰さから、一時的にでも離脱することで、生き物として健全な食べる前の強い感情、興奮のようなものを取り戻した感じもあります。
この強い感情を超過してしまう刺激の強いもの、お酒、タバコ、性的な行動などが禁止されてるのはそれが理由なのかもしれません。
身体がよしとするサインとしての快感より強いものを排除。
ただの水、普通のお茶でも断食を終了する日没には激しく美味しく感じます。
・・・そう、だから気がついたのです。
その瞬間は本当に無意識でした。
ちょっとしたアクシデントが起こったのはラマダン終了の2日前。
仕事の関係で昼間外出していたところでした。
とあるアポの受付で
「温かいお茶と冷たいお茶、どちらがよろしいですか?」
と質問され、何も考えずに
「冷たいのでお願いします」
と返答しました。本当に無意識だったんです。
ひと口、もしかしたら2口、3口、口にしたかもしれません。
「なんかやたら今日はお茶がおいしいな」
と心で思って、はっとしました。
ラマダンの断食中だったことを、すっかり忘れて、お茶を飲んでしまったのです!!!

「お茶いかがですか?」
と聞かれていたら、思い出すことができたかもしれません。
なんといっても、それだけ断食が当たり前のことになっていたことに驚きました。
これが最初の数日間だったとしたら、忘れてしまって返答すると言う事は絶対にありえなかったと思います。
ほぼ深夜の早朝からずっと何も食べていないわけですから断食を忘れることはかなり身体が調整されたからのこと。
気がついたところでもちろん飲むのをストップし、断食に戻りましたが、このシナリオは絶対に誰にでも起こるものだと感じたので、リタとホセインに質問してみました。
このような事態が起こった場合イスラム教徒はどうするんでしょうか?
私は冗談混じりに。
「スタートが遅かった10日間の埋め合わせ期間を1日延長しなきゃいけないの?」
と言うふうに質問したところ、なんとこういうことがあった時は、そこに意図があったかどうかということが判断のポイントになると言うことを教えてくれました。

完全に無意識にしてしまった場合、これは許されるそうです。
なかったことにして、元のスケジュールに戻ることができます。
ところが我慢できず意図的に飲み食いをした場合、これはやり直しの日数に加えなければいけないそうです。
この法律の真髄にも似たそこに意図があるのかどうかと言うポリシー、判断の仕方に私は非常に感銘を受けました。
しかしながら、埋め合わせラマダン、Qada(カダ)はやはり私は11日間にすることにしました。
というのも、まず最終日がリタの住むインドネシアとホセインの住むマレーシアは1日延長となったため、彼らは私より1日長く断食をしたためです。
東京はサウジアラビアの判断に従うことになっているそうで、1日早く土曜日の夜に私はラマダン期間終了。
おいしいもの食べてお祝いするイードの始まりと言うスケジュールになったのでその埋め合わせも兼ねて。
終了日についてもハッキリ情報が掴めず、いつなのか非常に私は翻弄され、色々と調べた後、リタホセインに共有、確認してやっと正しい情報を得ることができました。
イスラム教の暦はいわゆる太陰歴で月の動きで判断されるそうです。
(ちなみに、中国の旧正月の数え方はまた別みたいです)
ラマダンは新月の誕生とともに終了、と言う条件になっていて、これは生まれたての細い三日月が目視できた時点で正式決定される、そうなのです。
・・・アラジンとかイスラム文化によく月のイメージ出て来ますが、そういうことだったんですね。
地域に専門の委員会が存在し、ラマダンの終了はギリギリまで彼らに判断が委ねられます。
ラマダンが正式に終わると同時にお祭り騒ぎ、Eid(イード)の幕開けです。

というわけで、講師たちは1日長くなったということ、そして自分で開始してからの数日間やり方が曖昧で、断食の時間が短縮してしまったこと。
更にアクシデントで(許される行動だそうですが)お茶を飲んでしまった件もあるので、総合して1日分増やして11日間で予定しています。
この埋め合わせ期間 Qada (カダ)は、前記した通り、これをどう実施するかそしてその期間等なども個人の選択の自由となってくるそうです。
イスラム教の中にはもっと細かいルールが存在する地域なども当然あると思いますが、全体を通じてラマダンの基本的なルールに沿っていれば、後は自らの判断で決めることができる。
柔軟性があったり、意図的でなければそれが許されたりと言う理論的なところがあったり、深い点がたくさんありました。
緊張と緩和。
しばらく緩和を楽しんだらまたカダ期間を実施するのが楽しみで仕方ありません!
■TOEIC パート5 & 7頻出
redundant (形)余剰な(余計な・余分な)
Eliminating the redundant production process ultimately streamlined operations and boosted productivity.
余剰な生産過程をなくすことが最終的に運営を効率化し生産性が上がった。
次は『6.ラマダン〜まとめ〜』です。
お楽しみに!
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