こんにちは、CALN Online 代表の矢野です。
今回はとっても大事なお話をしたいと思います。ある意味CALN Onlineの
大きなミッションの1つでもあります。日本人の国際感覚に関わるお話です。
皆さんは日々の生活の中でどれくらいの頻度で ”外人” と言う単語を使いますか。
機会があれば何の抵抗感もなく普通に使っているでしょうか。それとも一応少し丁寧に ”外国人” と言う単語に置き換えて使っている方もいらっしゃるかもしれません。
”外人” という言葉が日本で差別用語になりうることを意識したことがあるでしょうか。
この単語が日本人の意識の中の差別につながっていることが本当によくあるんです。
「 よくわからない」「 大げさなのではないか」「 日本に差別はない」 のようにぼんやり思った方にはもしかしたら···いや必ずと言っていいかもしれません、潜んでいる差別意識です。
知識を持って理解してみましょう。
これを紐解くこと、改善することは、英語の上達にもつながります。
国際語としての英語をさらにうまく利用して世界に飛躍していくために必ず役に立ちますので、最後まで 読んでいただけると嬉しいです。
『外人』の定義
そもそも『外人』て何を指しているんでしょうか・・
どこの国の人を指してますか?
考えたことがあるでしょうか。
一般的にこの言葉を使って表現されるのは、イコール
『日本人でない』ということを指していると思います。
中には、「韓国人や中国人は外人じゃない」など、不思議な独特な意識が上乗せされているケースもあったりしませんか?
日本人とかけ離れた容姿の人たちを指していたり、
日本語が母国語でない人たちを指していたり、
要するに
それの何が良くないかというと、この単語を使うことで、 どこの国の人なのかひとくくりにして個々のバックグラウンドに全く敬意を払っていない状態になってしまうという点です。
日本人か、そうでないか、この二色で人を区別することになります。 日本人と言うものに対して、その他の人は全て別の存在、人間をこういう線引きで区別している場合、このような意識は簡単に差別につながって行きます。
『白人』に対して、他全てが『有色人種』であるのと同じ傾向だって考えたことありましたか?
アメリカでは・・🇺🇸
他の国の実態はアメリカ以外、私は直接深く経験していないので、はっきりとお伝えすることはできませんが
はっきりとお話しすることができる住んだことのあるアメリカについてです。
日本人が
『白人』『黒人』『ラテン系』『アジア人』『インド系』(インド系がアジアに入ることもよくあります)、
いち個人である前に、人種の先入観を必ず多かれ少なかれ持たれる社会です。
経験してみないとピンと来ないかもしれませんが、これは本当に本当に本当に不快なことです。
世界で起こっている人種差別の問題に対してよく、
という人いますがこれこそが差別の意識が潜んでいる大きな証拠のように私は感じます。
線の引き方が異なるだけで実は同じメンタリティなんです。
なぜ気づけないのでしょう。
それは自分達がoppressor (people with privileges) 抑圧している人(特権を持った人)だからです。
虐げられる立場にならないとこれは気づくことができないのかもしれません。
どこの国の人を指してますか?
考えたことがあるでしょうか。
一般的にこの言葉を使って表現されるのは、イコール
『非日本人』です。
『日本人でない』ということを指していると思います。
中には、「韓国人や中国人は外人じゃない」など、不思議な独特な意識が上乗せされているケースもあったりしませんか?
日本人とかけ離れた容姿の人たちを指していたり、
日本語が母国語でない人たちを指していたり、
要するに
『日本人でないこと』が『外人』
ということになります。それの何が良くないかというと、この単語を使うことで、 どこの国の人なのかひとくくりにして個々のバックグラウンドに全く敬意を払っていない状態になってしまうという点です。
日本人か、そうでないか、この二色で人を区別することになります。 日本人と言うものに対して、その他の人は全て別の存在、人間をこういう線引きで区別している場合、このような意識は簡単に差別につながって行きます。
『白人』に対して、他全てが『有色人種』であるのと同じ傾向だって考えたことありましたか?
アメリカでは・・🇺🇸
他の国の実態はアメリカ以外、私は直接深く経験していないので、はっきりとお伝えすることはできませんが
はっきりとお話しすることができる住んだことのあるアメリカについてです。
日本人が
『日本人』と『外国人』
とカテゴリー分けしているのと同じ感じでアメリカという国では大体4種類くらいのカテゴリーに勝手に振り分けられます。『白人』『黒人』『ラテン系』『アジア人』『インド系』(インド系がアジアに入ることもよくあります)、
いち個人である前に、人種の先入観を必ず多かれ少なかれ持たれる社会です。
経験してみないとピンと来ないかもしれませんが、これは本当に本当に本当に不快なことです。
世界で起こっている人種差別の問題に対してよく、
「 日本には差別はない」とか、「 日本人に人種差別の意識がない」
という人いますがこれこそが差別の意識が潜んでいる大きな証拠のように私は感じます。
線の引き方が異なるだけで実は同じメンタリティなんです。
なぜ気づけないのでしょう。
それは自分達がoppressor (people with privileges) 抑圧している人(特権を持った人)だからです。
虐げられる立場にならないとこれは気づくことができないのかもしれません。
自分たちは『上だ』とか『下だ』という隠れた感覚
例えばアジア圏の国に限ったとして、日本人はどこかでどこのアジア諸国の人々よりも自分たちは上だと思っています。
そういう感覚、絶対に持っているはずです。
自己査定してみて下さい。
英語を話さない日本語カタコトの『外国人』に対して日々、敬意を払えている人はどれくらい居るでしょうか。
ものすごい苦労や背景を抱えて日本に住んでいる人ってたくさんいるにもかかわらず、そこに想像力を広げてそういう目線で彼らをみているでしょうか。
英語コンプレックス持っていたりする人は特に、相手の日本語が下手だったとしても、もし英語が流暢だったとしたら・・・
少し下手(したて)に出たりすることありますね。
これは日本の統計的事実だと思います。 『外人』という単語を使うとき見下してることもあれば逆にコンプレックスを抱いている相手の場合もあります。アメリカやヨーロッパ諸国の人々に対しては逆に『へりくだる』ような傾向・・ありますね、日本で。特に英語が流暢な人には基本的に弱いみたいです。
『上だ』『下だ』という区切りの感覚に使っている言葉は当然差別につながります。
〜自分が外国人でも『外人』〜
アメリカに住む日本人と関わる中で、この単語に関して本当に笑ってしまうことがよくありました。
自分たちが海外からやってきてそこにいるにも関わらず、アメリカ人のことを『外人』って呼ぶ人、結構居るんです。
定義がやはり
ここでもやはり中国人や韓国人、主な近隣アジアの人は含まないことが多い感じがしました。
「外人ばっかりなの?」=(日本人はいないの?)
「その人、外人?」=(その人は日本人ではないの?)
「外人だったからびっくりした」=(日本人だと思っていた)
・・・私にとってこれは国際感覚がない、海外に出ているにも関わらずすごく閉鎖的なメンタリティーの表れのように感じます。
例に出した上記のようなコメントをしてはいけないということでは決してありません。
表現が問題なんです。
表現に現れる差別意識につながる区別する単語がよくないということなんです。
そういう感覚、絶対に持っているはずです。
自己査定してみて下さい。
英語を話さない日本語カタコトの『外国人』に対して日々、敬意を払えている人はどれくらい居るでしょうか。
ものすごい苦労や背景を抱えて日本に住んでいる人ってたくさんいるにもかかわらず、そこに想像力を広げてそういう目線で彼らをみているでしょうか。
英語コンプレックス持っていたりする人は特に、相手の日本語が下手だったとしても、もし英語が流暢だったとしたら・・・
少し下手(したて)に出たりすることありますね。
これは日本の統計的事実だと思います。 『外人』という単語を使うとき見下してることもあれば逆にコンプレックスを抱いている相手の場合もあります。アメリカやヨーロッパ諸国の人々に対しては逆に『へりくだる』ような傾向・・ありますね、日本で。特に英語が流暢な人には基本的に弱いみたいです。
『上だ』『下だ』という区切りの感覚に使っている言葉は当然差別につながります。
〜自分が外国人でも『外人』〜
アメリカに住む日本人と関わる中で、この単語に関して本当に笑ってしまうことがよくありました。
自分たちが海外からやってきてそこにいるにも関わらず、アメリカ人のことを『外人』って呼ぶ人、結構居るんです。
定義がやはり
非日本人なんですね。
ここでもやはり中国人や韓国人、主な近隣アジアの人は含まないことが多い感じがしました。
「外人ばっかりなの?」=(日本人はいないの?)
「その人、外人?」=(その人は日本人ではないの?)
「外人だったからびっくりした」=(日本人だと思っていた)
・・・私にとってこれは国際感覚がない、海外に出ているにも関わらずすごく閉鎖的なメンタリティーの表れのように感じます。
例に出した上記のようなコメントをしてはいけないということでは決してありません。
表現に現れる差別意識につながる区別する単語がよくないということなんです。
『外人』という言葉を使わない感覚
私は意識的にこの単語は使わないようにしています。はっきり言うと絶対使いません。
ふとレッスン中に生徒様が使った場合もタイミングがあれば必ず軽くですが今回書いたようなお話をして、使わないことをおすすめしています。
意識して回避することで「日本人と非日本人」という構図でなく、「日本人はさまざまな国の人の中の1種類」というスタンスで敬意を持って人と関わることができるからです。
出身地の話をしている場合は必ず、
アメリカ人 American
カナダ人 Canadian
イギリス人 British
オランダ人 Dutch
インド人 Indian
ベトナム人 Vietnamese
などなどなど、国名を使います。
人種の話をしている時は、
白人 White (or Caucasian)
黒人 Black
アジア人 Asian
などの表現を使うこともあります。
人種の話はしてはいけないというわけでは決してありません。人種によって上下の感覚が存在することが問題なんです。
また、話す言語が日本語でない時も『外人』という単語が使われていると思うので、そんな場合は、
英語を話す人 English speaker
スペイン語を話す人 Spanish speaker
フランス語を話す人 French speaker
(日本語の時は、『英語の人』、と言った短い形にしてしまうこともあります💦)
日本人でないこと、日本語を話せない人、総称して『外人』という1単語で表すのは私は敬意が足りないと思うからです。
でもそう思うのも、英語がわかるようになる経験によって知ったことが礎になっていると思います。
経験や知識を持って意識しない場合、必ず日本人の中にこの差別の種は存在するんです。
英語を学習している人は本当に多いですが、もし英語を習得して「”外人”と仲良くなりたい」なんて思っている人がいるとしたら、ぜひ一度考えを改めて欲しいです。
自分が日本人として国際語としての英語を使って色々なことを知りたい、仕事をしたい、何かを達成したい
これが正解のモチベーションです。
”外人”ってどういうつもりで使っているのか、よくよく考えてみて欲しいんです。
ふとレッスン中に生徒様が使った場合もタイミングがあれば必ず軽くですが今回書いたようなお話をして、使わないことをおすすめしています。
意識して回避することで「日本人と非日本人」という構図でなく、「日本人はさまざまな国の人の中の1種類」というスタンスで敬意を持って人と関わることができるからです。
出身地の話をしている場合は必ず、
アメリカ人 American
カナダ人 Canadian
イギリス人 British
オランダ人 Dutch
インド人 Indian
ベトナム人 Vietnamese
などなどなど、国名を使います。
人種の話をしている時は、
白人 White (or Caucasian)
黒人 Black
アジア人 Asian
などの表現を使うこともあります。
人種の話はしてはいけないというわけでは決してありません。
また、話す言語が日本語でない時も『外人』という単語が使われていると思うので、そんな場合は、
英語を話す人 English speaker
スペイン語を話す人 Spanish speaker
フランス語を話す人 French speaker
(日本語の時は、『英語の人』、と言った短い形にしてしまうこともあります💦)
日本人でないこと、日本語を話せない人、総称して『外人』という1単語で表すのは私は敬意が足りないと思うからです。
でもそう思うのも、英語がわかるようになる経験によって知ったことが礎になっていると思います。
経験や知識を持って意識しない場合、必ず日本人の中にこの差別の種は存在するんです。
英語を学習している人は本当に多いですが、もし英語を習得して「”外人”と仲良くなりたい」なんて思っている人がいるとしたら、ぜひ一度考えを改めて欲しいです。
自分が日本人として国際語としての英語を使って色々なことを知りたい、仕事をしたい、何かを達成したい
”外人”ってどういうつもりで使っているのか、よくよく考えてみて欲しいんです。
CALNでは・・
CALNの講師は意図的にさまざまな異なるバックグラウンドの人材を集めています。
ほとんどの講師が英語だけでなく複数の言語を話します。
語学として英語を教えるには、ネイティブスピーカーであることよりも語学習得の知識の方が大切な要素であり
国際語として英語を捉える時、学習するなかで学習者に接していって欲しいのは
「同じような偏りを持った英語を話す人」ではなく、
このような多様性を理解した国際感覚のある人であり、そこからでないと学べないことが多いと考えるからです。
英語しか話さず、文化の多様性に対して無意識の深いレベルで知識や意識が足りない人だってたくさん存在します。
そんな人とのコミュニケーションがうまくいかなかったとき「自分の英語力が足りないから」という理由ばかりなってしまう、そういうことって実はとても頻繁に起こるもので
実は問題は別のところにあるものなんです。
そうではない体験をしてほしい、
ほとんどの講師が英語だけでなく複数の言語を話します。
語学として英語を教えるには、ネイティブスピーカーであることよりも語学習得の知識の方が大切な要素であり
国際語として英語を捉える時、学習するなかで学習者に接していって欲しいのは
「同じような偏りを持った英語を話す人」ではなく、
このような多様性を理解した国際感覚のある人であり、
英語しか話さず、文化の多様性に対して無意識の深いレベルで知識や意識が足りない人だってたくさん存在します。
そんな人とのコミュニケーションがうまくいかなかったとき「自分の英語力が足りないから」という理由ばかりなってしまう、そういうことって実はとても頻繁に起こるもので
実は問題は別のところにあるものなんです。
そうではない体験をしてほしい、
国際感覚を身につけながら英語という言語を操れるようになってほしい、それがCALNの願いであり使命でもあります。