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5.バングラデシュのペット事情

5.バングラデシュのペット事情

市場では動物もさかんに取引されていました。
売られているのはこんな感じ。

鶏 chickens(可算名詞にすることで動物を指します)
山羊 goats
牛 cows
鴨 ducks
羊 lambs (sheepの場合は不加算名詞、集団なので分量と捉えます)

人々はさまざまな目的で動物を購入します。

多くはペットとして。
最終的には食べる、お金がなくなったら売る・・・
畑や田んぼの雑草処理に基本的にペットを活用するんだそうです。確かに犬猫では出せない特権です。
卵を産んだりミルクを出せたり、ペット(家畜)には利点が万歳です。
現代日本のペットは基本的に愛玩目的なので切り口が興味深いと思いました。

・・・ちなみに我が家のバイリンガルTalking cats Ava & Gaia(AICボタンを使って言葉で会話ができます)、インスタグラマー猫達はインスタでお客さん見つけて来てくれてるのでしっかり仕事をしている、と私は思っています。
かわいい賢いだけじゃない笑

市場から購入してそのまま調理されるケースも多く、ホセインの結婚式でも何百人もの参列者に食事を振る舞う為に、牛を1匹購入したとホセインが言っていました。

“I had to buy a cow because we’ll have hundreds of guests.”
「何百人も来るから牛1匹買ったんだよ・・」

“What? For dinner?”
「え!?夕飯にってこと?!」

“Don’t think that way!”
「そういう風に捉えないでよ」

キッチン裏口に繋がれるオスの牛。
草をはむはむしてなんだか楽しそう。
「あれ?食べる為に買わなきゃいけなかったってことじゃなかったのかな?」
絶対に状況理解を動物はしているはずです。
感じ取らないはずがない。
もしかして私の解釈が違ったのではないかと不思議に思っていました。

市場から帰宅する人がショッピングバックのように鴨の翼を持って歩いているのを見かけました。
翼を鷲掴みにされて歩いてるのに、鴨も周りをキョロキョロ見渡しながらなんだか楽しそうです。
うちの猫たちをカートに入れて外に連れて行ったときのように喧騒を見渡して全く悲壮感がありません。
カゴなどに入れて持ち歩いている人もたくさん見かけましたが、あの運び方は確実に家に着いたらすぐ夕飯にするんだろうなと言う雰囲気でしたが、本当に悲壮感が全くなかったんです。
違和感があるほどに。

首都ダッカでは、通りに面したケバブ屋さんの店先に牛が繋がれていました。
その真正面には、牛の足や肉もぶら下がっていて、人々が列をなして、食事を購入していました。
到着して間もない時だったので、本当にびっくりしてホセインの弟に呟きました。

“…I’m concerned about their feelings… You know animals have feelings too!!”
「あれ、どんな気持ちなのか心配なんだけど!動物にも感情ってあるよ!」

“People want to see what they’re eating but they don’t think of their feelings haha”
「何を食べているのかをみんな確認したいんだよ。でも感情については特に気にしてないね、ははは」

ただこのときも、つながれた牛は特にかわいそうな雰囲気ではなかったのです。

以前アメリカのテキサス州に行った時にアメリカンビーフとなる牛たちが大量に山あいに立っていて、首をうなだれている様子を見て本当にショックでしばらく肉を食べるのを止めたことがありました。
ところがバングラディッシュで見た動物たちは、テキサスの牛達が強烈に発していたそんな辛さが全くなく、本当に悲壮感が『ゼロ』だったんです。
この様子は私の頭にしばらく引っかかりました。

結婚式3日目、ホセインの家の花婿VIPルームで食事が振る舞われました。
カレー的なものにビーフが入っていたのですが、最初はピンときませんでした。
食べ始めてほどなく調理していた女性たちの1人が私たちのほうに近づいてきて、何やらホセインの弟に通訳を頼んでいます。

“This is the cow that was right there. Enjoy your meal and show respect.”
『これそこにいた牛だから、充分食事を楽しんで、敬意を払ってね』

“…. …”
言葉を失いました。

正直すごくおいしかったです。
新鮮だし柔らかいし、普段の私たちの生活ではあの生きているものがこのカレーの中に入っているのと同じものだと言う事は全く認識せずに生活することができます。
もちろんスーパーでパックに入っているのは生き物の肉であるとわかっていても直結しないで食しているわけです。
私も何度もヴィーガンに挑戦しましたができませんでした。
やっぱり肉を食べないと体調が整わないんです。
ホセイン弟に質問しました。

“How did they turn him into meat? How do they kill him?”
「どうやって肉にしたの?どうやって殺した?」

“Every village has a specialist. We missed that today.”
「村には必ずその専門の人がいるんだよ。今日ちょっとそのシーンは見れなかったね。」

他のことをしに昼間村から離れている間に屠殺が行われたようです。
いわゆるハラールの方法でされたのだと思います。
以前どこの国の人だったか、イスラム教の人、それからヒンズー教の人など数名と(たまたまミートアップで行ったハイキングのメンツがインド・パキスタン・トルコなど出身の人々でした)『ハラール』とは何なのか説明を受け、意見交換をしたことがありました。
(といってもそば食べながら話していただけですが・・・)

イスラム教徒は完全に肉を食べないということではなく、特定の方法で屠殺された肉しか食べないと言うことだそうです。
つまり苦しんで死んだ肉を食するのではなく、神様のご加護のもと天に召された肉をいただくと言うのがハラールだそうです。

そのことについていろいろ意見交換をしていた時、
つまり肉の中に残ってしまうような強い動物の感情がないことが食べる側の体に必要なことであると考えた場合、ハラールが使われたからといって、動物がどんな気持ちなのかはコントロールできない。
じゃあ肉を食べないのか正解なのか、それともどんな肉を食べるのが正解なのかなどなど数名で話し合ったことがありました。

その時私がひとり出した結論は、日本にはとても便利な『ハラール』の方法がある、と言うものでした。
「いただきます」と「ごちそうさま」です。
これは命に対する敬意を非常に短い効率的な言葉で表現し、浄化を行っているのではないかと言うふうに思いました。

子供の頃と違って忙しいと言わずにスキップしていることが多いため、意識して必ず言うようにしなければいけないとそのとき決意したことを思い出しました。

テキサスで見た食牛たちとバングラディッシュでキッチンの前に繋がれていた牛、同じように食卓に出たのに、どうしてあんなに大きな違いがあったのか、なぜ動物たちは死を感じているはずにも関わらず幸せそうなのか。
ある朝、突然私なりの答えが降ってきました。

「すぐ戻ってこられること知ってるんだな・・」
死さえも生きることの一部としてここでは前向きに捉えられているんだと感じました。
おそらく彼らは簡単に地上に戻ってこれることを知っているんじゃないでしょうか。

例えば私たちが就寝する前に『朝、目が覚めないんじゃないか』と恐れて眠れないと言う事はあまりないと思います。
寝るのが趣味と言う人さえ存在します。
ところが一方で睡眠困難や眠りが浅くて簡単に目が覚めてしまったり、寝ることにトラブルがある人もいるわけです。

死すら健全である。そのため、悲壮感がない。
それが私の出した答えでした。
でも、それなら合点が行きます。

バケーションへでも、これから行くかのような雰囲気の鴨、幸せそうな牛、鶏、罪の意識もなく『敬意』としてそれを食する人々について、生について食について、強い衝撃を受けました。

さて、我々が考えるペットと言えば、犬や猫ですが、バングラディッシュにも当然、犬や猫も存在しました。

ただ、基本的に犬も猫も誰も可愛がって注目していると言う様子は皆無。
特に犬はすべて野良犬でかなり荒れた環境で生き延びていると言う雰囲気がありました。
バングラディッシュで見た動物の中で1番大変そうなのは意外にも犬でした。

猫の様子はまた少し別で、非常に興味深く、人々の生活の中に恐れずブレンドしていて、食事していると足元をちょろちょろしている事は当たり前。
外で暖を取ってる人の中に香箱座りで混ざっていたりしていました。

ちなみに、調理をガスでなく火でするので、冬の間は火を囲んで、村人はおしゃべりをしていました。
猫はそこに混じっていたんです。
その様子がまたかわいい!

ところがそんな猫たちに誰かが注目して撫でたり声をかけたりする事は全くありません。
私が声をかけると猫たちは本当にびっくりした顔してました。
そんなことする人間が基本いないからでしょう。

でもそれで走って逃げるようなこともなく、猫の生活の方が犬の生活より充実してそうではありました。
ただし犬も猫もわざわざ別に分けたご飯をもらえているわけではありません。
おそらく彼らは人に提供できるものがないからなのかもしれません。
落ちているものなどを狙って食べていました。

基本すべての動物が放し飼いでした。
彼らは自分の飼い主が誰なのか、飼い主の敷地がどこまでなのかを把握していて、その中で行動をします。
羊は群れで飼われていて、群れで車道を歩いていました。
車道に群が歩いていても、交通の一部として上手にブレンドしています。

ホセインの弟の解説によると、ちゃんとどうやって家に帰るのかがわかっているので、群れの状態で、夕方には自分の家に帰っていくそうです。
食肉にしたり、働かせたり、表面だけ聞くと、かわいそうと言う印象が出るのが自然だと思いますが、動物たちはとても生き生きとしていました。

次回は知っておきたいイスラム教の国でのトイレの使い方です!
お楽しみに!

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